国賓用の豪華な応接間に、ディリアスが王子ふたりを迎え入れた頃。エミルの監視の下、リザレリスは自室で大人しくすることを余儀なくされていた。幸い侍女のルイーズが所用で席を外しているのをいいことに、リザレリスはぶつぶつとボヤく。「レイナード王子って、本当にあの黒髪のクソイケメンなのかなぁ?だとしたら文句言ってやりてー」ここで急にリザレリスは「あっ」となって、すっくと立ち上がった。 「リザさま?」「なあエミル。確かめに行こーぜ?」「確かめる、ですか」「だから本当に雑貨屋であったアイツらが王子なのかどうかを確かめに行くんだよ」「しかし、ディリアス様には会談が終わるまでは部屋から出ないようにとの指示が...」「だからさ。こっそり覗きにいってみよーぜ?」「の、のぞきにですか?それは......」当然ながらエミルは賛同しない。そんなエミルを見て、リザレリスはニヤリとする。
【6】ディリアスと王子たちの非公式の会談は、和やかに行われていた。といっても話をしていたのはディリアスとフェリックスで、レイナードは兄の隣で相槌を打っているだけだった。「私はもっと〔ブラッドヘルム〕との貿易は盛んにすべきだと思っています」兄のフェリックスは言った。「貿易だけではありません。文化交流もです。その点は父...陛下よりも、私は柔軟に考えています」「さようでございますか」ディリアスは、フェリックスと向かい合って話しながら、深く感心していた。彼がこちらにとって好意的だからというわけではない。彼が極めて優秀で聡明な人格を備えているからだ。若干十七歳にしてこの品格と知性と自信。それでいてジョークも言えるような柔軟さも持ち合わせている。彼ならば、人心を掌握し、国家をまとめることも難しいことではないのかもしれない。そう思わせる『資質と器』を感じさせる。父のファンドルス王(現国王)のような迫力こそないが、人の上に立つ者の素質があることは間違いない。「......しかし、リザレリス王女がご体調を崩されていらっしゃるとは、残念でした」「申し訳ございません」「ところで......」不意にフェリックスは妙な間を置く。
ディリアスに案内され、王女の自室前に王子ふたりが到着する。広い城内の移動はしばしの時間を要した。「王女殿下」ディリアスが部屋のドアをノックする。返事がない。何度かノックを繰り返す。一向に反応がない。いぶかしく思ったディリアスは、ドアノブに手をかけた。「申し訳ございません。少々お待ちくださいませ」と王子ふたりへ丁寧に言ってから、ディリアスはドアを開けて「失礼いたします」と入室した。しっかりとドアを閉めると、部屋の中を確認する。「人の気配がないな......」ディリアスは室内を見まわしながら、天蓋のカーテンに隠れたベッドの手前まで行く。「王女殿下。いらっしゃいますか?」ここでもやはり返事がなかった。仕方ないな、とディリアスはカーテンに手を伸ばした。「失礼いたします」シャッとカーテンを開ける。転瞬、ディリアスはギョッとする。なんとベッドの上に、さっきまで王女が着ていた衣服が散らばっていた。 「天真爛漫にもほどがありますよ......」思わず一人言がこぼれたディリアスは、仕方なく部屋の外へ引き返していった。「お眠りになっていらっしゃるのですかね。やはりご迷惑だったでしょうか」ディリアスが部屋から出てくるなり、フェリックスが言った。「念のため医務室へ行ったようです」ディリアスは恐縮しながら答える。「大変申し訳ございませんが、もう少々お待ちいただけますか?」「かまいませんよ」フェリックスは笑顔で了承した。弟のレイナードは、顔を背けて見えないようにため息をついた。「ありがとうございます」それからディリアスは部下に耳打ちする。速やかに王女殿下を探してお連れして来いと。
【7】時間は少しだけ遡り......。リザレリスとエミルはこっそり部屋を抜け出した。泥棒のように人目の付かないルートを選んで、遠回りに応接室へと向かっていく。「あの、リザさま」「なんだよ」「そこまでなさらなくても......」「ふふん。これなら城の中をうろついていても変じゃないし、王女ってわからないだろ?」ドヤ顔を決め込むリザレリスは、侍女の格好をして白い頭巾まで被っていた。これからお掃除仕事でも始めるみたいに。「そのかわり王女殿下だとバレればルイーズ侍女長に何を言われるか......」エミルは不安を口にする。実はリザレリスの変装衣装は、エミルが風の速さで調達してきたものだった。無論、それがリザレリスの思いつきの命令だったことは言うまでもない。「そん時はおまえが怒られるまでだ」リザレリスはエミルにウインクする。「......お言葉ですが、王女殿下もこってり絞られることになろうかと」「じゃあ見つからないようにしようぜ」リザレリスは前向きだった。というか、彼女は遊び人のノリで楽しんでいた。そうこうしているうちに、目的となる部屋の扉が見えてきた。「リザさま。あの部屋です」エミルはリザレリスに小声で伝えながら、妙に思った。こういう場合、扉の前は警備の者やらで厳重になっているはずだ。なのに誰も立っていない。エミルとしては、部屋の前まで行って「やはり無理ですね」とリザレリスへ言うつもりだった。そうすれば、さすがのお転婆プリンセスも諦めるだろうと。「よっしゃ。こっそりのぞいてやるぞ」何も知らないリザレリスは悪戯少年のような顔でテンションを上げる。エミルは胸に不安を抱きつつも、リザレリスについていく。「エミル。今、人は来ていないよな?」空き巣のようにそそそっとドアの前まで来たリザレリスは、最終確認を行う。「はい。今ならば、大丈夫です」エミルの言葉を聞いてリザレリスは悪い顔で頷くと、ワクワクしながら覗き魔のようにそ〜っとドアを薄~く開けた。「あれ?」「どうなさいましたか?」「誰も、いなくね?」扉の間から見える狭い視界の範囲だったが、誰の姿も見当たらない。何より、話し声が聞こえなかった。「うーん。どういうことだろう」むむむっと考え込むリザレリスの傍で、内心エミルはほっとしていた。不幸中の幸いとはこのことか。ところが、そんな安堵は束
「そこで何をやっている!」エミルに気づくなり、その者はドカドカと部屋までやってきた。狡猾なタヌキ面に怒りを浮かべて。「ど、ドリーブ様」「お前がなんでそこにいる!会談中ではないのか?」「いえ、中には誰も......」「いないのか?」はい、と頷くエミルを押しのけてドリーブは中に入る。すると彼の視界に飛び込んできたのは、場違いにソファーへ深々と体を預けている侍女だった。「なっ!お前は侍女のくせにそこで何をしている!」ドリーブが声を荒げた。当然だ。特別な来客用の高級椅子に侍女が悠々と身を任せているなど、ありえない。「なんだよ、うっせーな。ドリーブのおっさんか」リザレリスは悪びれることなくドリーブを睨んだ。自分が王女であることを隠すために変装していることも忘れて。「このわたしに向かって侍女ごときが何だその口の効き方は!......ん?」怒鳴りながら侍女へ近づいていき、ドリーブは気づいた。「そのお声とお顔......お、王女殿下!」「そうですけどなにか?」リザレリスはムスっとして訊き返す。相変わらず太々しい王女相手に物を言うのは気が引けたのだろう。「た、大変失礼しました」ドリーブはお辞儀をしてから、即座にきびすを返してエミルに歩み寄っていく。「お、おい。なんで王女殿下がここにいる。床に伏せていることにしてやり過ごすんじゃなかったのか?」「はい。しかし、王女殿下が......」「だ、だからと言って、王子たちと出くわしてしまったらどうするんだ!」ドリーブは必死だった。それはそうだろう。王女の政略結婚を強引にブチ上げたのは彼だ。ただ、あれはあくまで城内と国内世論を味方につけるための政治戦略。〔ウィーンクルム〕との本格的な交渉は、時宜を見極めてから改めて行う算段だった。だから〔ブラッドヘルム〕へ、すでに王子二人がお忍びで来ていたことは完全に想定外だった。運が悪かったとも言えるが、把握できていなかったことは痛恨のミスだった。もちろんドリーブ個人の責任というわけではない。だが、もし問題が起こった場合、ドリーブは政治的責任を免れることはできないだろう。「まだ王子たちは帰ってはいないはずだ!今のうちに王女殿下をお部屋へお連れしろ!そもそもお前はこのような事態にならないためにディリアス公から命を受けているのだろう!?」ドリーブは眼を血走らせ、遅れて入室してき
「では、私たちも参りましょう」エミルがそう言って、ドリーブを先頭に三人が部屋を出ようとした時だった。「おっと、これはドリーブ侯」ちょうど廊下から応接室へ入って来ようとした者とかち合った。思わずドリーブはびくっとしたが、王子ではなかった。執事風の年配男性だ。「な、なんだ。グレグソン卿、貴兄か」「失礼しました。部屋には誰もいらっしゃらないと思っておりましたので」グレグソンという名の年配男性は、ドリーブに会釈してから、後ろのふたりへ視線をやる。エミルはグレグソンの顔を見るなり頭の中の記憶をたどる。会ったことがあるような気がしたからだ。「あっ」エミルは思い出した。グレグソンは、雑貨屋にあの兄弟を迎えに来た男だ。「どうした?」リザレリスがのん気にエミルへ声をかける。「知り合いなのか?」「リザさま。こちらの方は...」とエミルが伝えようとしたが、一歩遅かった。「ったく、兄貴のヤツ。わざわざ部屋まで行って待たされてまで王女様の顔見てどうすんだっての。さすがに付き合いきれねえ」
ドリーブは疑問を浮かべ、エミルの耳元へ口を寄せる。「ど、どういうことなんだ?」「これにはちょっとした経緯がありまして......とにかく、王女殿下だということはバレていないようです」エミルの返答に、ドリーブは希望を取り戻し、顔色も取り戻した。「そ、そうか。レイナード王子は、ただの侍女だと思っているということだな」「はい。それはそれでまた別の問題がありますが」「確かに......」 一国の王子が他国の侍女に指を突きつけられているなど、ありえないことだ。ドリーブはひやひやしながら王子と侍女を見守る。「ったく、ここじゃ侍女の教育もままなっていねーのか?」「そんなことより、指輪を渡せよ!」「なーんでこの俺がお前に渡さなきゃならねーんだ。買ったのは俺だ」「割り込んだのおまえだ!」「メンドクセー女だな」「あんだ
「驚かせてしまったようだね」フェリックス王子は、そのままゆっくりと階段を降りてくると、リザレリスを丁重におろした。「ケガはないかい?」「あ、ありがと」さすがのお転婆プリンセスも、しおらしく素直に感謝する。「これはフェリックス王子に一本取られたな。エミル」遅れてディリアスが彼らのもとへ歩いてきた。はたとしたエミルは、即座にフェリックスへ向けて跪く。「た、大変申し訳ございませんでした」「いやいや、悪いのは僕だから。君の動きがあまりに素晴らしかったからね」「い、いえ」頭を垂れたままのエミル。「フェリックス王子は有数の魔導師でもあるんだ」ディリアスが言った。それからディリアスは、侍女姿のリザレリスに視線を移すと、どうしたもんかと考える。フェリックス王子は、彼女が王女だと気づいているのだろうか?気づいていないのなら、このままやり過ごすこともできるが......。そこへディリアスの方針を固める出来事が起
【9】王子ふたりが来訪してからしばらくの間に、リザレリスを取り巻く状況は変化していた。まず、ドリーブの策略によって危ぶまれたディリアスの地位は、以前にも増して安泰した。これはリザレリスにとっても好ましい状況変化といえる。「この度は、誠にありがとうございました......」ディリアスに深々とお辞儀をするドリーブのタヌキ面は、悔しさに満ちたものだった。結果として、ディリアスがドリーブの失策を挽回した形となったからだ。ディリアスがフェリックス王子と王女留学の話をまとめたことにより、ドリーブも救われた格好となったのである。もちろんドリーブ自身リスクは重々承知していた。失敗に終わったこと自体は素直に受け入れている。要するに、政治生命を救われたとはいえ、ディリアスに借りを作ってしまったことが不本意でならないのだ。「し、失礼いたしました......」奥歯を噛み締めてドリーブが部屋から辞去していくと、ディリアスは吐息をついた。「ドリーブ卿は、一番の政敵である私に借りを作ってしまって悔しいだろうな」「これで大人しくなってくれればいいですね」何の他意もなく部下が言うと
【8】城を後にした王子たちは、早々に帰国の途についていた。島国の〔ブラッドヘルム〕の港から、〔ウィーンクルム〕の港までは、船でニ時間あまりを要する。すでに夜だったが〔ウィーンクルム〕が誇る魔導式船舶であれば何も問題はない。だからフェリックスの意見で少しでも帰国を早めたのだった。誰もウィーンクルムとブラッドヘルムを行き来する商船に、王子二人が乗っているとは思いもしないだろう。入国も出国も、いずれもフェリックスの指示で、部下のグレグソンが手配した。第一王子にとって、お忍びでブラッドヘルムを行き来することは容易かったのである。「つーかよ」王子用に用意された客室の中、レイナードは正面に座るフェリックスへ切り出した。「マジで兄貴は何がしたいんだ?」弟の顔には当惑の色が浮かんでいた。兄はふっと頬を緩めて、穏やかに微笑む。「ディリアス様とお話したことがすべてだよ?」「どうせ俺に説明してもわからねーってことか」ふんっと弟は腕を組んで顔を背けた。「物事にはタイミングというものがあるからね」とフェリックス。
「驚かせてしまったようだね」フェリックス王子は、そのままゆっくりと階段を降りてくると、リザレリスを丁重におろした。「ケガはないかい?」「あ、ありがと」さすがのお転婆プリンセスも、しおらしく素直に感謝する。「これはフェリックス王子に一本取られたな。エミル」遅れてディリアスが彼らのもとへ歩いてきた。はたとしたエミルは、即座にフェリックスへ向けて跪く。「た、大変申し訳ございませんでした」「いやいや、悪いのは僕だから。君の動きがあまりに素晴らしかったからね」「い、いえ」頭を垂れたままのエミル。「フェリックス王子は有数の魔導師でもあるんだ」ディリアスが言った。それからディリアスは、侍女姿のリザレリスに視線を移すと、どうしたもんかと考える。フェリックス王子は、彼女が王女だと気づいているのだろうか?気づいていないのなら、このままやり過ごすこともできるが......。そこへディリアスの方針を固める出来事が起
ドリーブは疑問を浮かべ、エミルの耳元へ口を寄せる。「ど、どういうことなんだ?」「これにはちょっとした経緯がありまして......とにかく、王女殿下だということはバレていないようです」エミルの返答に、ドリーブは希望を取り戻し、顔色も取り戻した。「そ、そうか。レイナード王子は、ただの侍女だと思っているということだな」「はい。それはそれでまた別の問題がありますが」「確かに......」 一国の王子が他国の侍女に指を突きつけられているなど、ありえないことだ。ドリーブはひやひやしながら王子と侍女を見守る。「ったく、ここじゃ侍女の教育もままなっていねーのか?」「そんなことより、指輪を渡せよ!」「なーんでこの俺がお前に渡さなきゃならねーんだ。買ったのは俺だ」「割り込んだのおまえだ!」「メンドクセー女だな」「あんだ
「では、私たちも参りましょう」エミルがそう言って、ドリーブを先頭に三人が部屋を出ようとした時だった。「おっと、これはドリーブ侯」ちょうど廊下から応接室へ入って来ようとした者とかち合った。思わずドリーブはびくっとしたが、王子ではなかった。執事風の年配男性だ。「な、なんだ。グレグソン卿、貴兄か」「失礼しました。部屋には誰もいらっしゃらないと思っておりましたので」グレグソンという名の年配男性は、ドリーブに会釈してから、後ろのふたりへ視線をやる。エミルはグレグソンの顔を見るなり頭の中の記憶をたどる。会ったことがあるような気がしたからだ。「あっ」エミルは思い出した。グレグソンは、雑貨屋にあの兄弟を迎えに来た男だ。「どうした?」リザレリスがのん気にエミルへ声をかける。「知り合いなのか?」「リザさま。こちらの方は...」とエミルが伝えようとしたが、一歩遅かった。「ったく、兄貴のヤツ。わざわざ部屋まで行って待たされてまで王女様の顔見てどうすんだっての。さすがに付き合いきれねえ」
「そこで何をやっている!」エミルに気づくなり、その者はドカドカと部屋までやってきた。狡猾なタヌキ面に怒りを浮かべて。「ど、ドリーブ様」「お前がなんでそこにいる!会談中ではないのか?」「いえ、中には誰も......」「いないのか?」はい、と頷くエミルを押しのけてドリーブは中に入る。すると彼の視界に飛び込んできたのは、場違いにソファーへ深々と体を預けている侍女だった。「なっ!お前は侍女のくせにそこで何をしている!」ドリーブが声を荒げた。当然だ。特別な来客用の高級椅子に侍女が悠々と身を任せているなど、ありえない。「なんだよ、うっせーな。ドリーブのおっさんか」リザレリスは悪びれることなくドリーブを睨んだ。自分が王女であることを隠すために変装していることも忘れて。「このわたしに向かって侍女ごときが何だその口の効き方は!......ん?」怒鳴りながら侍女へ近づいていき、ドリーブは気づいた。「そのお声とお顔......お、王女殿下!」「そうですけどなにか?」リザレリスはムスっとして訊き返す。相変わらず太々しい王女相手に物を言うのは気が引けたのだろう。「た、大変失礼しました」ドリーブはお辞儀をしてから、即座にきびすを返してエミルに歩み寄っていく。「お、おい。なんで王女殿下がここにいる。床に伏せていることにしてやり過ごすんじゃなかったのか?」「はい。しかし、王女殿下が......」「だ、だからと言って、王子たちと出くわしてしまったらどうするんだ!」ドリーブは必死だった。それはそうだろう。王女の政略結婚を強引にブチ上げたのは彼だ。ただ、あれはあくまで城内と国内世論を味方につけるための政治戦略。〔ウィーンクルム〕との本格的な交渉は、時宜を見極めてから改めて行う算段だった。だから〔ブラッドヘルム〕へ、すでに王子二人がお忍びで来ていたことは完全に想定外だった。運が悪かったとも言えるが、把握できていなかったことは痛恨のミスだった。もちろんドリーブ個人の責任というわけではない。だが、もし問題が起こった場合、ドリーブは政治的責任を免れることはできないだろう。「まだ王子たちは帰ってはいないはずだ!今のうちに王女殿下をお部屋へお連れしろ!そもそもお前はこのような事態にならないためにディリアス公から命を受けているのだろう!?」ドリーブは眼を血走らせ、遅れて入室してき
【7】時間は少しだけ遡り......。リザレリスとエミルはこっそり部屋を抜け出した。泥棒のように人目の付かないルートを選んで、遠回りに応接室へと向かっていく。「あの、リザさま」「なんだよ」「そこまでなさらなくても......」「ふふん。これなら城の中をうろついていても変じゃないし、王女ってわからないだろ?」ドヤ顔を決め込むリザレリスは、侍女の格好をして白い頭巾まで被っていた。これからお掃除仕事でも始めるみたいに。「そのかわり王女殿下だとバレればルイーズ侍女長に何を言われるか......」エミルは不安を口にする。実はリザレリスの変装衣装は、エミルが風の速さで調達してきたものだった。無論、それがリザレリスの思いつきの命令だったことは言うまでもない。「そん時はおまえが怒られるまでだ」リザレリスはエミルにウインクする。「......お言葉ですが、王女殿下もこってり絞られることになろうかと」「じゃあ見つからないようにしようぜ」リザレリスは前向きだった。というか、彼女は遊び人のノリで楽しんでいた。そうこうしているうちに、目的となる部屋の扉が見えてきた。「リザさま。あの部屋です」エミルはリザレリスに小声で伝えながら、妙に思った。こういう場合、扉の前は警備の者やらで厳重になっているはずだ。なのに誰も立っていない。エミルとしては、部屋の前まで行って「やはり無理ですね」とリザレリスへ言うつもりだった。そうすれば、さすがのお転婆プリンセスも諦めるだろうと。「よっしゃ。こっそりのぞいてやるぞ」何も知らないリザレリスは悪戯少年のような顔でテンションを上げる。エミルは胸に不安を抱きつつも、リザレリスについていく。「エミル。今、人は来ていないよな?」空き巣のようにそそそっとドアの前まで来たリザレリスは、最終確認を行う。「はい。今ならば、大丈夫です」エミルの言葉を聞いてリザレリスは悪い顔で頷くと、ワクワクしながら覗き魔のようにそ〜っとドアを薄~く開けた。「あれ?」「どうなさいましたか?」「誰も、いなくね?」扉の間から見える狭い視界の範囲だったが、誰の姿も見当たらない。何より、話し声が聞こえなかった。「うーん。どういうことだろう」むむむっと考え込むリザレリスの傍で、内心エミルはほっとしていた。不幸中の幸いとはこのことか。ところが、そんな安堵は束
ディリアスに案内され、王女の自室前に王子ふたりが到着する。広い城内の移動はしばしの時間を要した。「王女殿下」ディリアスが部屋のドアをノックする。返事がない。何度かノックを繰り返す。一向に反応がない。いぶかしく思ったディリアスは、ドアノブに手をかけた。「申し訳ございません。少々お待ちくださいませ」と王子ふたりへ丁寧に言ってから、ディリアスはドアを開けて「失礼いたします」と入室した。しっかりとドアを閉めると、部屋の中を確認する。「人の気配がないな......」ディリアスは室内を見まわしながら、天蓋のカーテンに隠れたベッドの手前まで行く。「王女殿下。いらっしゃいますか?」ここでもやはり返事がなかった。仕方ないな、とディリアスはカーテンに手を伸ばした。「失礼いたします」シャッとカーテンを開ける。転瞬、ディリアスはギョッとする。なんとベッドの上に、さっきまで王女が着ていた衣服が散らばっていた。 「天真爛漫にもほどがありますよ......」思わず一人言がこぼれたディリアスは、仕方なく部屋の外へ引き返していった。「お眠りになっていらっしゃるのですかね。やはりご迷惑だったでしょうか」ディリアスが部屋から出てくるなり、フェリックスが言った。「念のため医務室へ行ったようです」ディリアスは恐縮しながら答える。「大変申し訳ございませんが、もう少々お待ちいただけますか?」「かまいませんよ」フェリックスは笑顔で了承した。弟のレイナードは、顔を背けて見えないようにため息をついた。「ありがとうございます」それからディリアスは部下に耳打ちする。速やかに王女殿下を探してお連れして来いと。
【6】ディリアスと王子たちの非公式の会談は、和やかに行われていた。といっても話をしていたのはディリアスとフェリックスで、レイナードは兄の隣で相槌を打っているだけだった。「私はもっと〔ブラッドヘルム〕との貿易は盛んにすべきだと思っています」兄のフェリックスは言った。「貿易だけではありません。文化交流もです。その点は父...陛下よりも、私は柔軟に考えています」「さようでございますか」ディリアスは、フェリックスと向かい合って話しながら、深く感心していた。彼がこちらにとって好意的だからというわけではない。彼が極めて優秀で聡明な人格を備えているからだ。若干十七歳にしてこの品格と知性と自信。それでいてジョークも言えるような柔軟さも持ち合わせている。彼ならば、人心を掌握し、国家をまとめることも難しいことではないのかもしれない。そう思わせる『資質と器』を感じさせる。父のファンドルス王(現国王)のような迫力こそないが、人の上に立つ者の素質があることは間違いない。「......しかし、リザレリス王女がご体調を崩されていらっしゃるとは、残念でした」「申し訳ございません」「ところで......」不意にフェリックスは妙な間を置く。